同人的活動

Posted 2012.08.21 in 昔語り

時は1997年、大学一年の冬。
独学でゲームプログラミングの勉強に励む日々。
どんな知識が必要なのかもわからず手当たり次第なのでとても効率は悪かった。

そこへ高校時代の同級生から、STG作りを手伝ってくれという話が舞い込んできた。
その同級生はゲーム専門学校に進学していたのだ。
そしてそこの卒業課題のSTGに使う素材作りを手伝って欲しいとのこと。

これは自分には願っても無い話だった。
他人が作ったゲームプログラムというものに、初めて触れられるからだ。

ゲーム専門学校にはありがちみたいなのだけれど、
ゲームを作るのに必要な基礎的なライブラリや雛形が既に用意されていて、
生徒はそれをいじって改造するだけで済むようだった。

っていうかコレ、門外不出だったりしないのかな。

なぜか縦長のドットに翻弄されながらもドット打ちをチマチマ行い
暇を見つけてはプログラムを覗いた。
基礎的な構造は自分が車輪の再発明のごとく独学で編み出してきたこととそうは変わらず
ゲームプログラミングに対してちょっと自信をつけることができた。

一歩前進。

そうこうしていると、大学で同人ゲームを作らないかと声をかけられた。
ゲームプログラミングに対して自信がついたのと
1人で全ての作業をこなすことに限界を感じていたのもあり、同人活動に参加することにした。

RPGを作ろう!ということでプログラミングを開始。
昔とった杵柄というか、キャラクターデザインなんかもしてみたり。

ヒロイン。

そのペット。

男性キャラ。

これは4精霊だったかな。

でまぁ…
この同人活動は1年くらいやって…ありがちだけど…

空中分解。

現実とはかくもままならない(´・ω・`)
でもコレのおかげでまた女の子の絵をよく描くようになった。

これは描くのに2週間くらいかかった。根性の作品。

何が大変だったって…タブレットなんて持ってなかったから、色塗るのを全部マウスでやったのだ。
しかもメモリが32MBしかないマシン(PC9821 V200)で。
1回塗るたびにカリカリカリカリ…カリカリカリカリ…。

死ねる!


そしてプログラミングの道へ

Posted 2012.08.21 in 昔語り

RPGツクールの話ばかりしてるから忘れてるかもしれないけど

いちおうプログラマのブログだからね!

とまぁ…ひたすらRPGツクールばっかいじっていた高校生活だっけれど推薦で無事大学に合格。
なおもゲーム作りへの熱は覚めやらず、もっとすごいものを作れないかとアレコレ模索を始める。
そんな折、また新たなソフトが発売された。

『RPGツクール95』

『95』はWindows95の『95』。
そう、Windowsで動作するRPGツクールだ。
Dante98、Dante98 IIはMS-DOS上で動作し16色しか使えなかったが
こちらは256色が使えるという脅威の革新!

ひゃっほーい!

と思ったのも束の間。
RPGツクール95のエデット機能はDante98 IIよりかなり見劣りするものだった。
一長一短と言った方が正確か。

256色は使いたい…
でもやりたいことをするためには機能が足りない…
ぐぬぬぬぬぬ…

そして閃く。

自分でプログラミングすればいいじゃない

学校の課題レベルではプログラミングは得意な方だったし、ちょちょいのちょいサ!
なーんて意気込んだものの、すぐに現実の壁にぶち当たることになる。

いざゲームプログラミングについて勉強しようにも資料がぜんぜんなかったのだ。
今でこそ本屋さんやネット上にゲームプログラミングに関する情報がたくさんあふれているが
1997年当時、ゲームプログラミングに関する資料は本当にほとんど無かった。
いや、あったのかも知れないが、ソレを見つけるのにもある程度の知識を要するような時代だった。

いちおう高校の卒業研究で簡単な画像処理ソフトを作った程度の知識はあったのだけど、
その実ビットマップファイルの構造すら理解できておらず、コンピュータグラフィックスなんたらなんていう
どこかの大学教授が書いたような分厚くて読みにくい参考書を読んだりした。
手探り手探りの連続。

なんとかブロック崩し程度なら小一時間で作れるくらいに。

大学一年の時、「アクアリウムを作れ」という課題が出た。

既存コードをちょっといじればいい程度の簡単な課題だったが、知識を活かして一から全部作った。
さらにただ魚が泳いでるだけでは味気なかったので、背景を波打たせたり、
泡がコポコポ上がるようにしたり、魚だけじゃなく低確率で人魚が出てくるようにしたり、
餌を撒いたら魚が餌を食べに群がってくるようにしたり、
潜水艦が出てきて魚雷を発射して魚に当たると爆発が起こるようにしたり。

で、課題の最後にコンペがあったのだけど…トップにはなれなかった。
理由を聞いたらこう言われた。

「バイオレンスはダメ」

にょれろーん(´・ω・`)


Dante98 II 『タイトル不肖』

Posted 2012.08.21 in 昔語り

1996年、高校三年の夏の終わり。
2度の落選に打ちひしがれていると、友達の間で「ゲーム作ろうぜ」って話が復活してきた。
そうそう、そもそも友達から「ゲーム作ろうぜ」って言われたのが発端だったのである。
そんな折、ついに待ちに待ったソフトが発売されることとなった!

『RPGツクール Dante98 II』

Dante98のパワーアップ版だ!
階層つきマップ、変数の導入などエディット機能が大幅にパワーアップ!
16色なのは相変わらずだが、ブロックごとにマップ画像を切り替えられ
さらにカラーパレットを変えられる仕様?みたいで、うまいこと使えば表現力も格段にアップ!

さっそくDante98 IIでの開発に向けて素材を作り始めた。
今回は友達からのアイデアも取り入れてのゲーム制作だ。
さすがにドット打ちもかなりこなれてきたし、もっと上を目指していきたい。
目指すはファイナルファンタジーVくらいの水準!

キャラクターはより個性豊かに!

フィールドはかなりファイナルファンタジーっぽくできたかも!

植物は種類を増やし、立体的な質感に!

街並みも質感を感じる作りに!

装飾も豊富に用意!

機械類は光沢も美しく!

調子に乗ってパーツ作りすぎ!

そんなこんなしているうちにタイムア~~~ップ。
高校卒業を迎えてしまったのでした…
というわけでこのゲームの制作は途中頓挫。

こんなかんじになる予定だった。

無念(´・ω・`)


Dante98 3作目『キウイ物語』

Posted 2012.08.20 in 昔語り

1996年。高校三年の夏。
受験勉強なんてお構いなしにDante98をいじり続けた。

前作まではただ作りたいものを作っていただけだったので
次はプレイする人、具体的に言えば審査員のことを考えてゲームを作ろうと決めた。
目指すのは、だらだらと長い大作ではなく、コンパクトにまとまったキャッチーな作品だ。

そうして作り始めたのが、題して『キウイ物語』

ストーリーは…
 天罰によって鳥の姿に変えられてしまったピョコは
 元の姿に戻る方法を探すため、街を彷徨うのであった…。

というシンプルなもの。
緑色でずんぐりしたデザインなのは、神様が鳥のキウイと食べ物のキウイを
ごっちゃにしてしまったからだ。
決して、○ョコボールの○ョロちゃんに似せたわけではないっ。
ちなみに過去のAコンの入賞作にニワトリが主人公のゲームがあったのだけれど

ぶっちゃけそれのパクリ感は否めない。

コンパクトな分、ゲームブック的なマルチエンディング構成にした。
エンディングが確か15種類くらいある。
スタートすると目の前に餌が置いてあって、それを拾うと捕まってゲームーバーみたいなのを始めとして
人間に戻るエンド、アイドルの娘が街を去る問題を解決するエンド、自分自身がアイドルになるエンド、
悪者を倒して英雄になるエンド、お菓子のモデルキャラクターになってピョコボールが大ヒットなどなど…

キャラクターは2頭身にし見た目にもかわいく。

キャラの種類よりもキャラの細かい仕草などを多めに。

マップチップは多彩さよりも緻密さを重視。

マップは、プレイヤーが彷徨うことになる街を1ブロックに収め、情報を凝縮した。

なのでマップデータ自体はかなり少ない。

3ヶ月を費やして完成。
そして早速『アスキーソフトウェアコンテスト』に応募!

今度こそ、賞とったるどー!!!

で。

落選!

にょろーん(´・ω・`)
敗因はいろいろ思い当たるフシがある。
変にマルチエンドにしたせいでストーリー誘導が不十分で、
プレイ開始後の手がかりが少なすぎて何をしたら良いかまったくわからないとか。
しかし何より…

きわどいパロネタはダメ!

デスヨネー…


Dante98 2作目『SHIINA ver2.0』

Posted 2012.08.20 in 昔語り

時は1996年。高校二年の三学期。
友達の間での「ゲーム作ろうぜ!」って話はもはや立ち消え状態だったのだけれど…
そんなのお構いなしに一人でガンガン突き進んだ。

容量が足りないとは言っても、容量はもうこれ以上増やせない。
限られた容量の中で、より計画的にデータをやりくりするしかない。
前作は容量のことなど考えず、あまりに行き当たりばったりに作りすぎた。
そこで前作の反省を踏まえて『SHIINA』を一から作り直そうと決めた。

その名も『SHIINA ver2.0』

なんて安直な!

前作ではやっつけだったタイトル画面もちょいとオサレな感じに。
いちいち素で読めないかんじに文字を装飾してるのが厨ニっぽいな、うん。

ストーリーは基本の筋そのままでちょっとSF色を強くした。
ロボとか、コンテナ置き場とか、鉄塔とか、高層ビルとか出てくる。

キャラクターはおおむね前作からそのまま流用。

マップチップはより多くの表現が可能になるように再考。

マップはチップ数のやりくりの関係で緑地がなくなった。

一部原寸で抜粋。

前作ではマップの見栄えにばかり注力しぎて、ゲームとしてのマップの密度感が薄かったので
今回はなるべく一画面にたくさんの道やモノが入るようにした。
ダンジョンのあたりとか見ると差がよくわかるかも。

また今回は敵キャラも全部ドット絵で自作。

敵キャラのドット打ち過程。

作業途中に敵キャラのドット絵のデータを入れたフロッピーディスクが壊れ、
半泣きになりながら1週間かけてドット打ち直したのも、今となってはいい思い出………

いや、やっぱ鬱な思い出!

そんなこんなで6ヶ月を費やしてプレイ時間10時間の大作が完成。
全力を出し切った!

満を持して、Dante98の販売元であるアスキーが開催していたツクールの祭典
『アスキーソフトウェアコンテスト』(略してAコン)に応募してみた!

賞とったるどー!!!

で。

落選!

しょぼーん(´・ω・`)
敗因はいろいろ想像がつくのだけど、たぶん最大の問題は『あまりに長編すぎた』ことだと思う。
審査側に立って見れば、たくさんの作品を審査しているのにこんな長いの絶対やってらんない!
良くも悪くも自分が作りたいものを作っただけなのでした。


Dante98 1作目『SHIINA』

Posted 2012.08.20 in 昔語り

画像がない記事はやっぱり地味だな!

ということで今回からは画像を織り交ぜてイキマス。

意気揚々とパソコン版のRPGツクール『Dante98』を購入すると、早速エディットを始めた。
Dante98はスーパーファミコン版の『SuperDante』よりも容量が多いばかりでなく、
マップもずっと小さい単位で編集でき、さらにキャラクターツクールと組み合わせれば
素材まで自作できてしまうという優れものだ!

ゲームのタイトルは『SHIINA』にした。

ヒロインの名前がシーナだからだ。
ていうか…

椎名へきるさんの大ファンだったからだ。

我ながら酷い安直。
画像にもあるけどこれを作ったのは1995年だから…もう17年も前になるのかヒイイイ。

ストーリーは…
 世界を破壊するさだめを持った神であるシーナが、
 世界を守ろうとする人達に追われていたところを
 事情を知らない主人公が助けて、一緒に逃げて回るお話。

とかそんな厨二病なかんじだったキガスル(うろおぼえ)
………………
………

ありがち!ありがち!

みんなこういうの作るよね!

キャラクターツクールも買って、キャラクターをドット絵で自作。

キャラクターのサイズは32×32で全体で16色しか使えなかった。そういう時代。
リアル系にしたかったので、32×32で4頭身とかムチャなことしてたりする。
左上の地味な黒いフードの奴がシーナ。

さらにマップチップも自作。(いくつか基本素材のまんまかも)

並びがぐっちゃんぐっちゃんなのはRPGツクールの仕様で、
この並びだとマップエディット時にマップチップパレットに綺麗に並ぶ。
なんでこんな並びなのかはいまだにもって不明。

そんなこんなで寝る間も惜しんでエデット・エディット・エディット。

マップはこんなかんじに。

画像が大きすぎるので1箇所だけ原寸で抜粋。

3ヶ月の期間を費やしてようやく完成。
プレイ時間は5時間くらいだったかな。
だがまだまだ作り足りない。もっと作りこみたい!
しかしそこへ…また…あの問題が…

「ぜんぜん容量が足りない!」

さてどうしたものか。


昔語り

Posted 2012.08.18 in 昔語り

ホームページを作ってみた!
(デザインは既存テーマ流用で暫定)

だがしかしコンテンツがない!

というわけで、せっかくだからとりあえず昔語りでも書いておこうかと。
しがないゲームプログラマの経歴なんて興味ないかもだけど…

[1] モノを作ることが好きだった小学生時代

もうかれこれ10年以上ゲームプログラマとして働いてきたわけだけれど、
別段小さい頃から「ゲームプログラマになりたい!」と思っていたわけではなかったりする。
小学校の文集には「将来なりたい職業:大工」って書いてたような。

プログラマになる人の多くは、子どもの頃から身近にコンピュータがあって
「PC8801いじってた!」「MSXいじってた!」「X68000いじってた!」なんてのが多い。
実際プログラマ仲間の飲み会ではそのあたりの話題で盛り上がることが多く
話にぜんぜん参加できなくて悲しい思いをよく味わう(苦笑)
一応兄がMSXを持ってはいたのだけれど、完全にゲーム機扱いだったという…

じゃあ小さい頃は何をしていたかというと…
小学生の頃は絵を描くのが特に好きで、絵ばっかり描いてた。

授業中に。

ドラクエとファイファン(エフエフではないっ)とドキドキ学園とネクロスの要塞に
ハマっていたので、描いてたのは主にモンスターの絵。
“ボクの考えたスライム”をいっぱい描いたコピー誌を配って回ったりもしたっけ。
手製のゲームを作るのも好きで、ゲームブック作ったり、
スゴロク作ったり、ビー玉ゲーム作ったりもしていた。

授業中に。

他にも紙粘土でフィギュア自作したりとか。
釘を加工して刀や剣作ったりとか。
とにかく何かを作ることが好きだった。

授業中に。

[2] オタクになった中学生時代

そんなプログラマらしからぬアナログな幼少期を過ごしてきたのだけれど
中学生になると学校にコンピュータ室というのができて、
授業でプログラミングというものに初めて触れた。

授業で出された課題はBASICで絵を描く、日本語プログラミング言語(名前忘れた)で
アニメーションを作るという単純なものだったけれど、
元来モノ作りが好きだったせいもあり、居残りまでして夢中でプログラミングした。

だがそんなことより

中学生時代にはその後の運命を変えるもっと大きな出会いが待っていた。

兄が買ってきたヤングマガシン。
えっちなグラビアの表紙につられて盗み読みしたら…
その中のある漫画にドハマりしてしまったのである。
その名も

3×3EYES

いわゆるオタクになった瞬間だった(笑)
それまで漫画なんて買ったこと無かったのだけど、一気に既刊を買い揃えた。
CDも買い揃えて、林原さんのラジオ聞くようになったり。
椎名へきるさんにハマったり。

この頃から女の子の絵ばかり描くようになり、漫画家になりたいナァなどと思うようになった。
プログラミング?
授業でやったっきりデス…

[3] RPGツクールに熱中した高校生時代

授業のプログラミングが面白かったのもあって、高校は工業高校の情報技術科に進学。
情報系ということで、親にコンピュータ(PC-9821Ce)を買ってもらった。
確か40万円くらい…親に感謝。

学校ではFORTRAN、COBOL、CASL、MASMなどのプログラミング言語を勉強。
情報処理技術者第二種の資格をとるためにC、C++言語を独学。
もうこの頃にはプログラミングはかなり得意になっていたけれど
得意なだけでまだプログラマーを目指していたわけではなかった。
ゲーム作りにも興味はなかった。

そんなこんなで、相変わらず女の子の絵ばかり描いていると
ある時友達の誰かが「RPGツクールでゲーム作ろうぜ」って言い出した。

「RPGツクール? なんだろそれ…」

ぜんぜん知らなかったのだけど、どうやらRPGをかんたんに自作できるものらしい。
調度その頃スーパーファミコン版の『RPGツクール SUPER DANTE』が発売されたので
試しに購入…したのが運のツキ。

気がついたら数日で容量限界までエディットしていた。
暫く忘れていた、小学生の頃ゲームを作っていた、あの頃の気持ちがよみがえってきたのだ。
すぐに追加データユニットを買うも、それもあっという間に限界に。

「ぜんぜん容量が足りない!」

なんとかならないかと調べると、どうやらパソコン版の方はもっと容量が多いらしい。

「パソコン版買わなきゃ!」

かくして容量を求めてパソコン版の『Dante98』に手を出し始めるのであった。
プログラミング?
そんなことよりツクール!ツクール!